じぶんのことを愛しているから
嫌われたくないという恐れが解けると「嫌われても大丈夫、なぜなら自分のことを愛しているから」と当たり前に思えます 行動の動機が人から好かれたり評価されるためでなく 純粋に魂が経験したいことをするようになります この時点で青写真を生きるという感覚が目覚めますhttps://t.co/iA5Ifi8z3s
— 清蓮(SeiRen) (@seirrren) May 15, 2019
尊敬する人のひとり、清蓮さんのTwitter。
嫌われたくないという恐れが解けると
「嫌われても大丈夫、なぜなら自分が自分のことを愛しているから」と当たり前に思えます。(自ら進んで嫌われようと捻くれるという意味ではない)
そしてあらゆる行動の動機が人から好かれるためや評価されるためではなく、純粋に内なる魂が創造したり経験したいことをするために行動するようになります。この時点で青写真を生きるという感覚が目覚めます。
なぜなら自分が自分のことを愛しているから。
なんて美しいコトバだろうと思う。
20代から見えない世界のこと、心の世界のことなど試行錯誤してきて、すべては自愛がベースになくては……ということも理解していたけれど、それがブレない感覚にようやく安定した来たのは最近のような氣がします。
なぜそうなれたのか。
セッションや 会っている人と分かち合いが起きていると、自然に話していそうだけれど、少し意識してまとめてみようか……。
その手の発信はたくさんあるのだけれども、しっくりとそうなれるのと、なぜだか葛藤がうまれやすいのとの違い。
少なくとも、じぶんの痛みが教えてくれる、じぶんの核にある資質と向き合えることはポイントのように思います。
経験し体現している人との出会いは、何をした、何を言われた……ではなく、瞬間的な変化として目醒めへ導かれた……ともかんじます。
その繰り返しなのかな。
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